2018年7月21日土曜日

2018.7/13 高雄市

高雄市の学校の中に保存されているS-2T 2205号機。
去年必死に追いかけたS-2Tの1機はこうして学校に保存されていました。
地上に置いてある姿をゆっくり見られたのは去年の花蓮基地解放以来のこと。
 
設置されてから新たに塗り直され、鮮やかな状態で保っています。

右サイドから。異なる迷彩パターンが施され、左に比べ水色が多い配色となっています。

こちらは一昨年引退した空中勤務總隊のUH-1H。
內政部消防署空中消防隊の機体として導入。4隊統合時に空中勤務總隊で運用されていましたが、塗装は空中消防隊時代のまま運用され続け、UH-60M,AS365N3を後継機に引退しました。
残念ながら動いている姿は見ることができませんでしたが、ここで念願の撮影です。

別の学校にはA-CH-1が展示されています。
花蓮に静態保存されているR-CH-1とは塗装が異なっており、こちらはAT-3Bと同じ色が採用されています。
T-CH-1を改造したA-CH-1はCOIN機として1992年まで活躍しました。
 
岡山の時にも撮影したS-2E、2128。塗装ベースは同じものの、シャークマウスが描かれていないほか、胴体の波が直線であったり塗装の細部がS-2Tと異なります。
様々な部品が外されドンガラ状態なのが伺えます。エンジンも現役時代のものとかけ離れた形状のものに変更されていました。
尾翼には第6大隊の部隊徽がペイントされています。

C-130が配備される前に第10空運大隊と第20空運大隊で運用されていたC-119。
双胴機で後部にカーゴドアがある特徴のある外観の機体です。

第二中隊の部隊徽が機種に描かれています。
この後第二中隊はE-2Tを運用する電戦中隊へと改変され、現在に至っています。
 

C-123はC-119に統一される前に運用していた輸送機。
101大隊のマークがついていました。

当時花蓮にいた第8大隊に配備されていたF-5B。当時はべトナム迷彩を纏っていました。
引退後岡山に展示されてしばらくは塗装を保っていましたが、この塗装に変更されました。
おそらくF-5Bの初期塗装と思われます。

ベトナム迷彩で展示されているF-5Eの5101。台湾のF-5Eの初号機に当たる機体。
この機体から300機以上がAIDCでライセンス生産され、その一部は今でも稼働状態にあります。

阿里山1号計画で導入されたF-104A。米軍援助にて導入された最初の導入機の内の1機。
中華民国空軍ではこの機体の以後約30年にわたり各国からF-104を導入し続け、1998年まで使用されていました。
 
初期の機体はこの第8中隊に配備されました。この8中隊はのちにIDFを配備する2つ目の部隊となりました。
2005年の組織改編により、第8中隊は消滅、配備されていたIDFは第28作戦隊と第7作戦隊へ編入されました。

VIP機として松山専機隊に配備されていたC-118。現在のF-50の役割で使用されていました。

新竹の第二大隊に配備されていたF-100A。F-104を後継機に引退しました。
F-100Aは台湾で展示されている機体が少なく貴重な展示機です。
第二大隊はこの後11大隊に変わり、F-104、ミラージュ2000へと機種転換、さらに499聯隊となり、現在は第2聯隊になっています。
この歴史は現在のミラージュ導入20周年記念塗装(2017と2020)の腹の模様でも知ることが出来ます。

C-46は國共内戦で活躍した輸送機。当時は米国から最新装備が供与されていました。
後に朝鮮戦争が勃発し韓国空軍に供出された機体もいるようです。

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